幸せになるための離婚・再婚ガイドブック

離婚、再婚を経験し、現在ステップファミリー歴7年目を迎える管理人が、夫婦、子ども、家族について考えるブログです。スクールカウンセラーとして働く中で感じる、子どもの気持ちについて心理学的視点も交えながら気ままにつづっていきます。

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○私が離婚を決意するに至るまで

私は、22歳の時に一度離婚を経験しています。今回は、その時の私の気持ちを思い出しながら書いてみたいと思います。


離婚の大きな理由は、夫の仕事が長続きしないことや家のお金を持ち出すこと、性の不一致などです。
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当時、私のアルバイト収入が月に5~6万円、夏休みは8~10万円、旦那もアルバイトをしており、月に15~6万円ほどの収入がありましたが、それも月に3~5万円は持ち出して勝手に使ってしまう(ギャンブルに使っていると言っていました)。生活費を家のあらゆる場所に隠したり、現金としておくのをやめて銀行に預けていても私の財布から勝手にカードを抜いて下して使ってしまうということが続きました。


たぶん、地元を離れ私の大学のある土地での慣れない生活や独身時代のように自由にならないストレスなどもあったのだろうと(今では)思うのですが、毎回毎回お金が減っていることに気づいて愕然とする度に私の心も疲れていきました。


何度話し合ったことか。でも、彼には家庭を守ることよりもストレスの方が重くのしかかっていたのでしょう。


私は彼に自分の家族に、守るべき娘の存在に目を向けてほしいと強く思っていました。


一家の大黒柱として、生活を維持することや強さを求めていました


彼は仕事場で性格の合わない人がいると泣きながら「やめたい」と訴えてくるタイプのよく言えば優しい人でしたので余計に強さを求めてしまったのかもしれません。私も初めはそんなにしんどいならと「次の仕事が決まっていること」を条件に転職することを了解したつもりがすぐに退職してきてしまい、3カ月ほど無職の夫を見る羽目になったこともありました。


そのような彼の頼りなさに失望してしまい、離婚を考え始めたのです。


しかしそのあとも離婚決断に至る事件が起こります。


将来のことを見据えて、家族を養っていくためには私が大黒柱となって働いていくことになるのかもしれないと考えていました。それでもせっかく折り返し地点まで頑張った大学。絶対に卒業したいと必死に勉強していました。


大学の授業、アルバイト、家事を終えて娘を寝かしつけてからのレポート作成。その折にセックスを求めてきて私が応じなければ不機嫌になりふくれっ面で数日…。折に触れ地元に帰りたいと言い出すこと…。


元夫の考えていることや言葉に前向きさや向上心を感じることができず、自分との温度差を感じてしまったのが別居を切り出したタイミングでした。そのころには夫が帰ってくる時間になると下痢や蕁麻疹など体が拒否反応を示すようになっていました。話し合いの末、冷却期間と言うことで別居することになり、夫が出ていく形に。


別居期間中は生活費は一切くれず、夫は稼いだお金をようやく自分の好きに使うことができるようになったとばかりに腕にタトゥーを入れ始めたり外見が派手になっていきました。生活費は一切渡さないにもかかわらずタトゥーを入れたり自分の身の回りのものはきれいになっていくことに疑問を投げかけた私に「これ、安かったから」とさらりと言う彼に怒りの感情がわかず、意外と冷静な自分がいたことをはっきりと覚えています。


離婚が娘に与える影響を心底心配していた私でしたが、ネットでの体験談や専門家からのアドバイスもあり、そのころには自分一人でも何とか育てていこうという決意ができつつありました。冷却期間として設けた別居でしたが、結果的には私の離婚への決意を固めるための時間となってしまったのです。


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